中学時代の同級生へ
今週のお題「あの人へラブレター」
ラブレターって程でもないけど、今でも心に引っかかっている中学時代の同級生について。
中2で転校した先の学校は、新設校との絡みでクラス替えしたところだった。
通常よりは目立たないものの転校生はやはり遠巻きにされるわけで…。
仲良し同士らしき人々の間でぽっかり空いた空白地帯のような私に話しかけて来たのが、通路を挟んだ隣の席にいた彼だった。
転校生?どこから来たの?カバン違うけどそのまんまなんだ?
と小声で話しかけられて、話しかけられたからには答えなければ!とボソボソ返答した。
いま思えば、彼は周りにいた誰とも会話していなかった。
親切な人だなー、と思った私は何も気付いていなかった。
私がいたクラスは「寄せ集めクラス」と名高くて、他のクラスの担任たちが引き取らなかった余り者を転任してきた気の弱い先生が受け持っていた。
それは学年主任のクラスにいた部活仲間から聞いた。
私はさして気にしなかった。
私は複数いた転校生の中でも余り者?くらいはチラッと考えたけれど。
その部活仲間から件の彼について聞くまでは。
「小学生の頃、あいつのせいで友達が○んだ」
「私はあいつを許さない」
「あいつと付き合わない方がいい」
へぇ、とか、はぁ、とか、気の抜けた返事をした気がする。
小学生の頃、一緒に帰っていた女の子を置いて遮断機の降りた踏切を彼が駆け抜けたら、ついてきた女の子が…とのことだった。
当時県内の別の場所に住んでいた私がうっすら覚えていたくらいのニュースだ。
相当大事だったのだろう。
私は亡くなった子のことを知らない。
いま同じクラスにいる彼とは時々話す仲だ。
授業中にこっそり話しかけてきたり歌を口ずさんだりする変わった人だけど、私に対する悪意は感じない。
彼のことを部活仲間に話さなくなった。
聞きたくないであろうことくらい、空気を読むのが苦手な私でも分かったから。
3年生の夏だったか。
他に誰もいない教室で、彼に手首を掴まれた。
半袖だから肌を直に触られた。
異性にそんなことをされたのは初めてだったこともあり、相当びっくりした。
「触られるの、嫌?」
「…別に?」
「そう…」
あっさり離してどこかへ行った。
何だったんだろう⁇と大層困惑したものの、悪意も何も感じなかったのでやっぱり気にしなかった。
向こうの態度も変わらなかったし。
今なら、あんたそれフラグだよ!とツッコミを入れられるんだけど。
鈍いにも程がある。
彼は多分私を試していた。
何があってあんなことをしたのか知らないけれど、私が受け入れてくれるか知りたかったんじゃないか?
少なくとも、彼は私に好意があっただろう。
何も知らない、他愛ない話を聞いてくれる転校生。
手首を掴む以上に発展しなかったのは、私が何も気付かなかったからか。
卒業式の後、クラス単位で開催された謝恩会に彼とその親御さんは来なかった。
教室の出入り口でクラス全員へ向けて別れの挨拶をしたのが最後だ。
出征する兵士をなぜか思い出すような佇まいだったのを今でも覚えている。
何であんな、今生の別れみたいな顔をしていたんだろう。
それから20年以上経つけれど、私が中学の同窓会に呼ばれたことはない。
寄せ集めクラスだから開催皆無なのか、高校から別の土地へ移った私を探すのが面倒だったのか。
もしくは、悲しいことに呼んでもらえないのかも知れない。
弟妹はその土地に残っていたし、後に母と同じ職場で働いた同級生もいた。
ツテはあっても利用されなかったということは、まぁそういうことなんだろう。
もしも同級会があるのなら、彼の無事を確かめる為だけに私は出席するだろう。
いい歳のオッさんしてくれてたら嬉しい。
こっちもいい歳のオバちゃんになったんだよ、って笑いたい。
元気でやってるといいなぁ。
やっぱりねー、と思ったこと
初めてメンタルクリニックへ行ったら、喋っただけで発達障害持ちと見破られた_(┐「ε:)_
数年前、空気読めよ!って職場で怒られたことがあった。
叱られた、指摘された、のではない。
怒られたのである。
言葉通りに指示を受け取ったら、どうもその裏には上司なりの意図があったようで…。
いい歳こいてメンタル病みましたわ、当時。
薄々思っていたけれど、私やっぱり変なんじゃないかって。
認知が歪んでいるってこと?と思ってググりまくって大人の発達障害テストをしてみたらあらまぁ…だった。
すごく怖かったよ、夫にバレるのが。
諸事情でメンタルクリニックへの偏見がすごいのよ。
思春期に高2病を発症して心理学系の読み物にハマったり、長年の友達が学習障害でその子供は療育中だったりな私とは訳が違う。
当時は上の子しかいなかったけど、彼女に対する育児ノイローゼを決死の覚悟で話したら「こんなに可愛い娘なのに何でそうなるの?」だったからね。
可愛さと育児ノイローゼに相関関係はありません!と言えなかった。
ただ絶望しただけ。
育児の愚痴を夫へ言うのをやめた。
今回はアンガーマネジメントで相談したくて行ったのだけど、生育歴の質問に答えたらスパっと言われた。
「あなたの場合、育児で怒りが爆発するのは当たり前」
「生来の性質として察することが難しいのだから、究極の察してちゃんである赤ちゃんは相性最悪」
_(┐「ε:)_
上の子の時に来てくれたら…と言われたけれど、あの時諦めちゃったんだな…。
夫の件もあったけれど、慣らし保育期間があまりなくて復職してしまったから。
ちなみに今回の受診ももちろん内緒だ!
家族スケジュールアプリに「通院」としか書いていないからね。
何かあれば連絡行っちゃうけど、その時はきっとバレたほうがいい時だろう。
保健相談所の母子健康担当へサポートをお願いすることになった。
助けて、と言うことに関してハードルが下がっただけでも良かったと思う。
診断や薬、周囲からの気遣いが欲しいわけじゃない。
自力で対処するために力を貸してもらえそうなクリニックでホッとした。
なぜか全くぶつからない相手
今週のお題「おかあさん」
私にとっての母は、タイトル通りの人だ。
父とぶつかり過ぎて相対的に平和な気がしているだけのように見えて、その実本当にぶつからないのである。
私はわがままで甘ったれだがプライドの高い面倒くさい奴だ。
こんな娘とぶつからない母は菩薩か女神かと思われるかも知れない。
しかし、その実態は旅館の女将さんが一番近い。
女将さんである母は、お客であるところの子供や孫の世話をなんだかんだで焼いてくれる。
ご飯は美味いしさり気なくサポートしてくれるし孫の遊びにもニコニコ付き合ってくれるんだからすごい。
嫌ならさらっと離脱するので周りをムッとさせることもない。
常に半歩引き周りを観察しつつ次に何をすべきか判断している。
割と論理的だ。
感情的にキエェェェァア‼︎となることはまず無い。
だって女将だし。
孫たちや父が寝静まると、おもむろに座布団へ寝転がり録画したドラマを再生する。
そして開始10分で寝入る。
観ないなら止めるよ?と声を掛けると観てる!と言って巻き戻す。
いやいや、それ観てなかったって事だよね⁈
私、そのシーン観るの3回目だよ\(^o^)/
女将の束の間の休息なので、好きに過ごせばいいんじゃないかな…と思って適当に相槌うって引っ込むことにしている。
触らぬ女将に祟りなし'。
母の適度なドライさに思春期の頃は救われた。
こちらがどんなに悩んで泣き喚いても同調することなく話を聞いて整理してくれたからだ。
モヤモヤのぐちゃぐちゃでどうにもならない!と思っていても、何だかんだで折り合いをつけられた。
母にとって私は1人目の子で何もかもが初めてで、試行錯誤だっただろう。
自分で言うのも何だが、優等生で手がかからない反面、メンタル的に面倒な子ではあったので兄弟たちより気を使う場面が多かったと後に聞いた。
正直すまんかった٩( ᐛ )و
一般的な良き母からは一線を画す私の母。
うちのカーチャン普通じゃねーな!とは兄弟の言。
息子が部活で活躍したら黄色い声援を送る母親ばかりの中、我々の母は静かに観戦するばかり。
役員に当たればきっちりやるけど保護者同士の付き合いめんどくさなのが子供にはダダ漏れだった。
こちらもそれが分かっているので母をサラッと帰らせる。
進学で親元を離れても用事がなければ全く来ない。
興味関心が無いのではない。
「一人暮らししてるんだから自分のことは自分でやりな、困った時は助けるから。」
そう言うスタンスである。
母からの支援物資は毎回楽しみだったなー。
好物がしれっと揃っていて、さすが女将分かってるぅ‼︎と涙した。
グダグダと書き連ねたが、一風変わった母だが私はこの人が大好きである。
言ったことは多分ない。
これからも多分言わない。
私は面倒くさい娘のままでいてやろう。
そう思っている。
苛立ちの原因
最近の悩みやらなんやらの原因の一つがわかった。
せっかく心がお母さんになったのに、思うようにお母さん出来ない状況になっていることだ。
いくつか前の日記にお姉ちゃんからお母さんになった話を書いた。
今までの判断はお姉ちゃんな私が下してきた。
仕事復帰当たり前・家事は手抜き&手抜き・育児は保育園との共同作業。
その方針で育児休業を過ごしてきた訳である。
しかし今の私はお母さんで、これを良しとしていない…。
正社員を諦めて在宅ワークでお小遣い稼ぎをしつつ子供たちを家でみて、今までより家事育児に手間暇かけたい。
上の子の勉強をフォローしPTA役員をそこそこ引き受け、下の子はゆくゆく幼稚園に預けて在宅ワークを増やして云々。
いやー、まさか自分がこんなことで悩むようになるとは思わなかった。
上の子ひとりのままなら学校の学童と習い事を併用して、残業ありで開発案件ハシゴしてた。
働くのが当たり前。
家事育児は大事だけど外注できちゃうからお金で解決。
それが悪いとは今でも思わないけれど、やりたいとも思えなくなってしまった。
それだけのことなのだ。
復職したら財形貯蓄を始めるつもりだったけど、多分やらない。
長くても下の子が小学校へ上がるまでしか正社員で働かない気がしてきた。
ただ、5年も経てば状況は変わるのだ。
小1の壁が薄くなっているかもしれない。
育児以外の理由で退職を余儀なくされるかもしれない。
うっかり出世して仕事にやる気を出しているかもしれない。
夫が専業主夫になって働かざるを得なくなっているかもしれない。
母としてどうしたいのか。
どうすべきじゃなくて、どうしたいのか。
それを基本方針として、現実との落とし所を見極めたい。
答えがなかなか決まらない
正式な復職日が決まり手続きが始まった。
上の子の学童と下の子の保育園を確保しているので何の問題もないんだが、私自身が働くことに迷いを抱えたままである。
競争率が高くて年度途中入園が無理だから7ヶ月から預けなければならなくなったこと。
食物アレルギーがあるから弁当必須なのに給食費分は保育料から差し引いてもらえないこと。
育休中だから競争率の高い小学校の学童を諦め高額な民間学童へ預けざるを得ないこと。
向こう3年、夫は深夜帰宅のデスマーチでそろそろ休日出勤が始まる上、本人は心の底から働きたくないと思っているのでメンタル病むのも時間の問題ではないかということ。
だから、仕事を辞めるのに躊躇してしまうこと。
何もかもを思い通りに、とは思わない。
8割通れば御の字だと思う。
それにしたって酷くないか?と地団駄踏みたい気分だ。
いや、義理含め親兄弟への直接的な悩みはまだ無いし、ある程度のケアで家族の心身は保てるからマシなの?
悩む余裕だってあるのだから。
みんな我慢してるんだから、なんてリアルでは言われてしまいそう。
誰が何を我慢しようが私が不満を抱えていることは事実だから腹立たしいのだ。
ぐちぐちと垂れ流すより、本当は解決したい。
仕事を辞めれば保育園と学童も辞められる。
その代わり夫は仕事を辞められなくなるし、仕事を理由に無言のお断りをしていた他の面倒も降りかかってきそうだから嫌だ。
仕事は身を守る手段でもある。
私の母が定年退職したら長期休みに上の子留学させたい妄想してる私も相当甘ったれた根性してるので、誰にでも仕事はあるに越したことは無い。
あちら立てればこちらがガッタガタ。
世の中等価交換だったり要領いい者勝ちだったり。
答えを自分で決める問題は本当に難しい。
宝箱全部開けた@江戸城
とうとう宝箱を全部開けて打刀ふた振りゲット╰(*´︶`*)╯♡
…猫に呪われてるチャラ男と意味深マッチョ…oh…花丸と活撃ファンの上の子に見せるの躊躇するわ(・Д・)
そんな訳で、今は下記の編成でレベリング中。
【第一部隊】
→隊長は意味深マッチョ、極短刀&極脇差から3、レベル下から2人
【第ニ部隊】
→隊長は猫に呪われてるチャラ男、極短刀&極脇差から3、レベル下から2人
【第三部隊】【第四部隊】
→上記以外で桜付きのレベル上から12人
弊本丸の特付き標準レベルは80なので、新入りはそこを目指してストイックにレベリング。
いま35まで来た。
特付き他メンバーは85で、極メンバーは33で交代。
検非違使対策のため5刻みで標準レベルを設定してレベリングすることにしている。
が、極は必要経験値が多過ぎて心が折れそうなので3刻み_(┐「ε:)_
鍵がどんどん貯まるのが困りもの…。
7日時点の鍵数に応じて四の蔵復活させるかねぇ。
どうせ課金するなら刀剣部屋と刀装部屋も拡張したいな(´-`).。oO